ハワイと日本人との交わりに関する最初の記録は、
蘭方医である大槻玄沢の「環海異聞」に記されているそうです。
1804年、仙台っ近くの両氏がカムチャツカに漂流し、カメハメハ大王が王国を樹立したばかりのホノルルに立ち寄ったそうです。
後に有名なジョン万次郎とかも漂流していて
目的を持ってハワイに上陸というよりは偶然立ち寄った
というケースが多かったそうです。
▲ジョン万次郎
明確な目的を持ってハワイに渡った最初の集団はそれから30年近く後のことになります。
19世紀、ハワイは欧米の文化を取り入れようとし、その影響もあり白人の発言力が強くなっていました。負債削減のために、それまではネイティブハワイアンの食料であったサトウキビを輸出しはじめ、1850年には世界有数のサトウキビ輸出国になっていました。
大規模な生産が始まり、ハワイ政府はサトウキビ畑の労働に人が必要と判断し、
その一環として日本人に移民を江戸幕府に打診したことがきっかけだったそうです。
※他にも中国、ポルトガル、ドイツ、ノルウェー、スコットランド、プエルトリコなどの国々からもきていたそうです。
これに対応して、江戸幕府は、149人の日本人をハワイに送ったそうです。
ただ、すんなり移民させたわけではなく、結構いざこざがあったそうです。
サトウキビ畑の仕事は過酷だったという話
農園ではかなり厳しい規約があって、移民の方もつらい生活をしいられていたそうです。
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